作りたいものと食べたいものが乖離している

趣味でジャムを作ることがある。八百屋でたまたまイチジクを見つけて買おうとしたら「暑いから今日中に食べてね!これおまけ!」と3パックくれた。どう見ても男一人で3パック食べないだろ。今日中に。お前、僕をなんだと思ってるんだ。おまけしてもらっといてこの口調もどうかと思うので「ありがとうございます」と笑顔で答えたけども。
帰ってきて測ったら600gあった。肉だって150gも食わないぞ。
で。3パック今日中はどう考えても食べられないので、全部ジャムにしてくれるぜぇー。ブチュルブチュル潰してパワーアップ!イチジクにはペクチンがあるのか、砂糖とレモン汁で煮詰めればドロドロになる(ちなみに、煮てもドロドロにならない果物もあって、その場合はペクチンを別途足す。生姜とかね)
イチジクジャムの完成である。すげぇ量のジャムができた。
さて、ここで問題なのだが。
実は僕は、ジャムがうまく食べられない。
ジャムを作るのは好きなのだ。
だが食べ方がよくわからない。パンに塗って食べればいいじゃん、と言われる。マカロンにはさむのもいい。ヨーグルトに入れればなかなか良い感じだ。言ってることはわかるんだが…うーむ。このへんの説明がとても感覚的で難しい。文章に書くと「いかにもニガテ」って感じに見えてしまうし。そうじゃなくて「なんとなくニガテ」なのだ。実際、食べればウマイ。ただ、なぜかそれをあんまり選ばない。
これの逆版で「作るのがニガテ」ってものもある。野菜炒めがニガテで、作れるし食べればウマイのだが、なぜか作りたがらない。自分のことだが理由はわからない。刺身を買ってきて晩御飯とかもニガテだ。人にこのことを話すと「理解できない」と言われる。うん、僕も理解できない。
こういう感覚って、多くの人にはないのか? どう説明したらいいのかわからない。でもこういう曖昧なものが存在していることは確かだ。
物事の順番はまず現象があり、それに対して理由を探している。理由が先にあることはない。