道具(過程)と完成物(結果)

macwindowsも道具だ。それを使って何を作るかは自由だ。何か作りたいものがあったとして、さまざまな道具が用意されている。パソコンだったり、ケータイだったり、スマートフォンだったり、あるいは鉛筆だったり楽器だったりする。
道具をどこまで道具と認識しているかは、人によるだろう。学校を道具として見ている人もいる。教科書は道具だろうか。では教師はどうだろう。
使いたい道具のために、結果があることもある。ある曲を弾きたいからギターを選ぶのではなく、ギターを選んだがためにその曲を弾いている。どちらが悪い、というわけではない。
macwindowsも道具だ。道具ありきなのか、結果ありきなのか。どちらにしても自由だ。優れている点はさまざまにあり、劣っている点もまたさまざまにある。