父親と息子の二人旅行

子どもの頃、家族で旅行に行ったことがある。また、成人してからも、父親と二人で食事をしたり話をしたことはある。しかし泊りがけで旅行に行くなんてことは初めてだ。
ある年齢にならないとできないことがあると思う。父親との二人旅がそれの一つだった。その年齢になったようなので、行くことにした。ちなみに弟は数年前に行っているはずだ。僕のほうが「その年齢」が遅かった、ということになる。
僕の友人には家族仲が良いやつがいて、しょっちゅう実家に帰ったり、家族旅行に行ったりしているヤツがいる。しかしそんなのはかなり特別な部類で、多くの人は家族で旅行なんて行かないんじゃないだろうか。別に家族仲が悪いわけじゃなくても、男性なら余計にだろう。
 
父親と行ったのは海水浴場だった。真夜中に家を出て、朝には海についた。子どもの頃によく連れて行ってもらった海水浴場だ。両親と弟妹の5人で来ただろう。記憶はすでに曖昧なものだ。
海水浴場の駐車場は意外なことに混雑していた。意外というのは、311の津波放射能、その他の問題で、多くの観光客は出足が鈍るのではないか、と予想していたからだ。そんなことはなかったということだろう。観光地にしてはありがたい話しかもしれない。
「人が減ったね。海の家とかもっとあったと思うんだよ」と父親が言った。周囲を見回すと、たしかに少ない。隙間なくずらっと並んでいた海の家は、点々と間隔をあけて存在していたし、人ごみも思ったほどの混雑ではなかった。駐車場は満杯だったのに、人が減ったということだろうか。それとも駐車場が狭くなったのか。あるいは、記憶が曖昧なだけか。
天気は曇り空と晴れの繰り返しだった。日差しが強すぎるのは困るので、助かったというべきか。僕らは程よい木陰にビニールシートを敷き、荷物を降ろした。以前は両親のどちらかが、荷物の見張り番などしていたのだろうか。
誰も持っていかないだろう、という安易な、そして持っていかれてもそんなに困らないものだけを置いて、父親は海へと向かった。普通は貴重品を海の家に預けたりするのだろうな、と思いながら僕もそれに従った。
 
海水はつめたかったが、身体をつけるとすぐに慣れた。水はほどよく透明で、人が少ない海水浴場の隅っこだった。海水浴場中央部の人ごみは、海が濁り、子どもが多いのだ。逆に、海の家にも駐車場にも近く、ライフセーバーが見張りをしている安心感もある。
しばらく海で泳ぎ、魚がいるだの潜水が難しいだのと遊んだあと、父親は釣りをした。僕は木陰で昼寝をしたり、ぶらぶらと散歩をしたりした。二人は昼飯を好き勝手に食べ、早めに切り上げて民宿へと向かった。
 
基本的に家族連れがくるデザインなのだろう、八畳ほどの部屋だった。民宿というものは、子どもの頃から変わらないようなデザインをしていた。小さいところは変わっていたが、ほんの些細な部分だ。子どもの頃、民宿に泊まったとき、テレビを見るのに1時間100円だったり、エアコンを入れるのに1時間100円だったりした。今はさすがにそんなことはない。そんな些細な部分だけで、料理が食べきれないほど大盛りで残すのがデザインだったり、壁が薄くて隣の部屋の会話が聞こえたり、トランプやマージャンが置かれていたり。
会話は何を話しただろうか。車の中でも海水浴場でも民宿に帰ってからも、会話をしていた。二人ともおしゃべりというわけではないので、思いついたらしゃべる、という程度のぽつぽつとした会話だったが、沈黙が嫌になることはなかった。
僕ら親子は基本的にどうでもいい話が得意だった。小中学校で教えるような理科や社会から、災害におけるこの辺一体の被害について、民宿というもののデザイン(設計)、発酵食品と酒の造り方、ケーキやパン作りについて、はては原始地球においてなぜ窒素と二酸化炭素が発生したのか、水素はどうやって存在するのか、という話などだ。日々の雑事や、人間関係の話はいっさいしていない。
「会話というものにおいて『料理』は上位に位置する。他の趣味は、やったりやらなかったり興味がなかったりするが、全員が『食べる』からだ。差し障りなく、敵を作らず、多くの人の興味を引くことができる」
 
僕ら親子は仲がいい、と言うのかどうかはわからない。それは父親母親だけではなく、弟妹ともそうだ。人によっては、とても距離がある、ともいうかもしれない。弟妹については住んでいる場所も知らないし、母親は今、どこで仕事をしているかも知らない(この間、メールを出したらフランスだったし、その前はブルガリアにいたような母親だ)だが仲が悪い、とは思わない。少なくとも彼らを信用している。一時の思い込みで、愚かしい行動をすることはないだろう。無関心と放任は違う。