まだ目を開けていない僕へ

情報を欲しがっているときには必死で、周囲が見えていない。スピードが速い車のように、視野は狭くなり、情報は近距離しか見えなくなっていく。目を閉じていることに気づいていない。
多くの人が、そんなスピードの中にいる。そしてそのときに見えている情報というものは、自分に危険がある情報だ。欲しがっているのは「自分が不安になる情報」であって「自分が安心する情報」じゃあない。本人は安心を探していると盲信しているんでしょうけど。無自覚としか言いようがない。スピードを出しすぎているとしか言いようがない。
きっと原発の問題がなくたって、不安だ不安だと言い続けるんじゃないの? もう少し速度を落として、目開けることってできるんだろうか。
仏陀もキリストも他のあらゆる先人たちがさまざまな言い方や表現で説いて来たが、いまだに目はひらけない。あの天才たちが、「こんこんと言う」という選択肢をとったところを見ると…おそらくそれが一番早い手なんだろう。
僕の目はどうやって開くだろう。もっと開けるはずだ、まだ開いていない目があるはずだ、とは思っている。2個なんて誰が決めたんだ?