善悪の区別はどこに基点を置くかによる

いくつかの善、偽善(悪)について、パターン化してみた。おそらくこのどれかに当てはまると思う。善悪の区別はどこに基点を置くかによる。自分がやろうとしていることは、偽善なのかどうなのか、何を見て、何を考え、判断しているのか。自分を見る鏡のように考えている。
基点:個人
神が行ったら善で、悪魔が行ったら悪。何人殺そうが善で、何人助けようが悪。この定義方法でいうと、「多くの人に良いと思われる人物の行いはすべて善。その逆が悪(偽善)」 やらない善よりやる偽善の話を見ていて考えた。あなたがやるなら全部善、あなたがやるなら全部偽善。
基点:思想
行動の思想として「これをやったら相手が悪くなるだろう」「これをやったら相手が良くなるだろう」の二つがある。予想して行動するが、結果はまったく別だ。「良くなるだろう」と考えて行動したのなら、すべて善。「悪くなるだろう」と考えて行動したのなら、すべて偽善(悪)。両者の行動が一致していたとしても、思想が違う場合、善悪に分ける。
基点:結果
結果として「この行動がよかった」「この行動が悪かった」という結果論から見た善悪。結果がよければ善。結果が悪かったら偽善(悪)。結果をどの地点に置くのかによって、ずれる可能性もある。100年後を結果とするのと、来月を結果とするのでは、ずいぶん違うだろう。
基点:行動
行動したら善。行動しなかったら偽善。課程に重点を置いた考え方。規制派の考え方は、この基点でいうとすべて偽善(悪)になる。お前はがんばった、努力した、という評価は、この行動が基点になっている。
基点:判断
自分で判断したのなら善。この場合「行動しない」という自己判断も善。他人の判断に従っていたり、自分で判断しなかった場合は偽善。この場合「行動した。結果もよかった」としても偽善。