評価の評価

評価の評価について考えている。今年、買ったもので役に立つものと、役に立たなかったものを決めている最中に思いついたことだ。自分がなにを評価するのか。なぜそのように評価したのか。それを考えていた。
たとえば100個の物体があり、その相対評価をするとする。評価がよかったものが半数を超えていた。その場合、評価者は物体を正確に事前判断できる能力が乏しい、ということになる。考えが過小評価傾向にある。安全側かもしれない、とにかく、そういうマイナス方向にそもそもを考えている。
この場合の相対評価とは、予想された価値と、実際の価値の誤差である。この差がプラスに大きい場合、評価が良い。マイナスに評価された場合、評価が悪い。プラスの評価とは、予想が低く見積もられているともいえる。つまり過小評価していた、ということだ。マイナスの評価は逆で、過大評価していた、ということになる。
予想したとおりに動いたものは、評価がどちらでもない。高くも低くもない。
これが評価者を中心とした評価方法である。
これとはまったく視点を逆にして、物体側から見た評価をしてみよう。たとえば僕が、思ったより役に立たなかった、という低い評価をした商品。これは多くの人が高評価だったとする。つまり僕が使い切れていない。僕側に使う能力がない。僕はその道具から見たら、低い評価である。
道具についても、服についても、また人間についても、同じことが言える。自分の役に立たないのは、自分の能力不足の可能性がある。道具を使いきれていない自分の能力を嘆く。
評価の低かった買い物を見ていて、そう考えた。