大量に出るゴミと、すばらしいモノ

ドS、ドMなんて単語をわりと耳にするようになった。松本人志の影響だ、なんてよく聞くけど、まあたしかにそれはあるかもしれない。それまでニッチだったSMの世界だが、多くの人が入ってきて、自分はSだ、自分はMだと言っている。おそらく本質的に好きな人は、邪魔なゴミが増えたな、と感じているだろう。
これは姉ゲーでも同じ現象があって、タイトルに姉と冠しているだけで、内容はまったく姉モノを理解していない姉ゲーが大量生産された時期があった。姉業界では「こんなものが姉を名乗るな!」と批判されたが、僕本人としては「ゴミが大量に増えるが良いものは生き残るから問題ない、むしろこれは裾野が広がる現象であり、山を高く築くためには必要なゴミである」と考えていた。姉とはなんなのか。これは概念的な属性なので、理解するのが難しい。たとえば「年下の姉」と言って理解できる人間は少ない。多くの人が「意味がわかんねぇー」と言うだろう。だが事実存在する。
話が逸れたので戻すが、SMの場合、これの拡大版で、より多くのゴミが入り込み、まったく勘違いのSM像を築いてしまった。SMに造詣のある人なら「そんなんでSM名乗るな!」と言うような内容だっただろう。だがそれが裾野が広がる、というものだ。より巨大な山を築くことになるだろう。より素晴らしいものが生まれてくる可能性が高くなるはずだ。誰かが望んでいる形状かどうかはわからないが。
多くの人が集まり、何かを成そうとするとき、大量にゴミが出る。webもそうだ。誰もがブログを書いているが、誰も読んではいない。だが、こうやって多くの人が、アウトプットしよう、という意識を持てば、きっと素晴らしいものが出る確率は上がるはずだ。大量にあるゴミのせいで、素晴らしいものを見つけるのが困難になってしまう、という弊害はあるが、フィルタリングする人が出てくるだろう。これが個人のニュースサイトであり、ブックマーカーである。
自分が作り、自分の言葉を書く。多くの人がアウトプットして欲しいと思う。