競うと争うの形状

勝負の話。
僕は「競う」と「争う」を分けて考えている。簡単に言うと、競うのは、相手より自分が上になろうと、自分を伸ばすこと。争うのは、どういう形状でも良いから相手より上になること。
「ゲームの勝ち方」にはいくつかの種類があって、そのうちの一つに「相手を負かす」というのがある。「自分が勝つ」のと「相手を負かす」のは別だ。
まあ乱暴な言い方をすれば、対戦相手に下剤を盛って勝つは「争う」である。勝てばよいのだ。手段の話ではない。相手より上になることが最優先条件である。それが良い悪いなんて話はしていない。戦争は通常、争いである。現状の政治を見ていても同様だ。おそらく争うほど、マジなんだろう。
対して、競うというものは、基本的に自分との戦いである。伸びるのは自分で、相手より、もっと伸びたほうが勝つ。陸上や水泳なんかは、たいていの場合、競うの基本になる。自分の記録と戦わねばならない。相手は過去の自分だ。
ある企画を練っている。何度か挑戦したが、すべて落とされた。僕はまだ無能で、相手に納得させるだけのものが作り出せない。ゆえにコンペで落とされたりする。過去の自分を超え、相手に納得させるものを作り出せなければならない。それが競うってことだ。対戦相手を蹴落としても意味はない。