自分の命の使い方

命を貨幣のように捉えていて、自分だけがそれを使えるイメージをしている。
だから、誰かが何かに命がけで行動することを、僕はあまり止めたくない。それが世間から評価されないこともある。僕は「それは世間から評価されないだろう」とか「他のことをやったほうがいい」という忠告ぐらいだ。
だからたまーに「必死になるぐらいなら死んだほうがマシ」という判断をする人を見かけても「キミの命だ。キミの持ち物で、キミの使い方だから、仕方が無い」という冷たい意見になってしまう。
ちゃんと必死にやれよ、オマエ死んだぞ、というのは、僕の傲慢さだ。誰かを殺したくないなら、僕が金を払って生かすこともできるが、それをしないってことは、単純な僕のわがままだ。それは、世界の裏側の貧しい環境にいる人たちに対してもそうだし、身近にいる人に対してもそうだ。
それが、本人に与えられた命の使い方なら、本人が望むように使うべきだろう。お小遣いを何に使おうと自由だ。