面白さがわからない、でも良い

その面白さが僕にはわからない、という場面に遭遇することがある。たとえば、愚痴を言っている人を見ると「なんでそんなことを言っているんだ?」と思う。
でも、おそらく相手には、相手なりの面白さがあるのだろう。ストレス発散ができるのかもしれない。僕にはその視点がないし、能力がないので、愚痴でストレスを発散することが出来ない。
ブログに書く、というのは愚痴に近いのかもしれない。逆にこうやって文章にすることが理解できない、という人だっているだろう。毎日何年もよく飽きずにこんなことやってるな、と言う人は当然いる。その人には面白さがわからないだけだ。
そうやって、多数の視点があり、価値観があり、僕から全部が見えるわけではなく、また誰かからは見えるものがある(神のような視点があれば、全部がわかるのかもしれないが、それはもう人間ではない)
こうやって、多数の主観の集まりが、客観である。
僕にはその面白さがわからないが、わかる人がいて、それが楽しめる人がいるのだろう。自分の楽しいことを見つけられるといいね。