若者のニート、老人のニート

夜、電車に乗っていたら、老人が数人で乗り込んできた。全員酒を飲んでいるらしい。全員がスーツを着ていて、体のどこが悪いだの、孫がどうのという話をしている。笑い声も話し声も大きく、通勤電車のためか、話しているのはその老人たちのグループだけだった。
老人が働きすぎなんじゃないか、とふと思いついた。
昔、肉体労働がメインだった時代、労働ができるのは若者がメインだっただろう。労働は過酷で、老人はすぐに働けなくなった。そうやって若者が、老人の仕事をとってかわり、サイクルが続いていく。老人はニート化して、若者に食わせてもらう形状だ。
しかし、現代社会では、老人のほうが稼いでいる。会社の方針を決めている人間の年齢はどうだろう、日本の政治を運営しているのはどうだろう? どこを見ても老人しかいない。人脈というものが金に結びつくのならば、老人のほうが人脈が強いのは当然だ。現代社会で金になっているのは才能ではなく人脈、つまり癒着である。若者よりも老人のほうが金を稼げる。肉体労働ではないから、若者を入れる必要はなく、サイクルが進まない。では、若者はどうなるだろう? ニート化するのは当然の形状ではないのか。
仕事が趣味という老人をよく見かける。家にいてもやることがない、居場所がない、なんて話も聞く。そうやって労働してきた。もっと老人のニート化が進むにはどうしたらいいだろうか? 老害なんていってるが、その癒着によって現代日本の社会が動いているのは間違いない。
良い悪いの話ではない。形状の話です。勘違いしないように。