死の概念、忘れるの概念

ちょっと考えていること。
時効ってものがある。犯罪をしても、それを過ぎたら逮捕しません、みたいなヤツだ。つまり罪は時間概念に囚われた発想ということになる。少なくとも刑法的にはそうだ。なぜ時間概念が基準になっていくのかというと、人は忘れていくからだ。その罪を多くの人が忘れていく。
だとしたら、データになって保存したり、コピーできるようになった現代社会において、これから多くの人が「忘れることが出来なくなっていく」のではないだろうか? 動画だったり、写真だったり。永遠に残ってしまって、思い出のように風化できない。
考えているのは、忘れるという概念がない場合、どういう現象が起こるのか? ひいては、死の概念がない場合、どういう現象が起こるのか、という疑問だ。劣化しなければ、死という概念を超えられるのではないか? 答えは決めていない。今は。