望んで無駄を支払うこと

あれもしたい、これもしたい。「やりたいことリスト」を作ると、いろんなものがリストにあげられるだろう。それを悲しむ側面と、喜ぶ側面があると思う。少なくとも貧しく、その日を生きるだけの国に生まれた子供たちは、そんなことは思えない。豊かな国でなければ、やりたいことが多いなんてことはないのだ。
そういう喜ぶ側面と同時に、悲しむ側面もある。人生は有限で、時間もお金もないということだ。時間(という名の資源)がないのだから、不要なものを切り捨てる必要がある。テレビを見なくなるのは道理だと思うし、こうやってブログをやっている場合じゃない。本当に欲しいものに、やりたいものに、もっと投資しなくてはならないだろう。
でも、まあ、無駄ぐらい気分よく支払いたいね。
ゲームは人生の無駄だ。酒を飲む時間も、ぼんやりする時間もそうだ。意味の無いことだ。それでいいじゃないか。そういう無駄なこと…やりたいことリストにあがってこないようなことも、自分で望んで支払っているんだ。