極貧と裕福の差、さらにはゲーム性について

極貧というものを体験したことがない。したい、というわけじゃあないけれど。
ちょっとしたテストをしたことがある。人体実験だ(僕はわりと人体実験が好き)一ヶ月の食費を2万円まで落としてみた。ほとんどを自炊にすると、もっと削れるだろう。できるけど、面倒なのでやめてしまった。時間投資が大きすぎると判断したためだ。
節約とは、裕福だからできる余裕だ、と僕は考えている。多くの人が反論するだろうが、節約なんてのは暇人がやる娯楽だ。なぜ、断定できるのか? 答えは簡単だ。
節約している時間、コンビニで働けばいいだけだからだ。
電気代を1000円節約するためにどれだけの労力が必要だ? その節約に費やす時間、仕事をしたら良い。1000円の節約など、1時間も働けばペイする程度の問題だ。
だとしたら、なぜ多くの人は、そんな節約なんて無駄なことをわざわざ意図してやるのだろうか?
…答えは、節約が趣味だからだ。本当の極貧とは、えり好みさえもできず、金を得る方法がない状態だ。それが僕の考える極貧だ。それ以外は、ただの趣味に過ぎない。趣味が悪い、と言う話をしているわけじゃあない。自分の豊かさを認めろ、という話をしている。なぜ自分が豊かであることを否定したがるんだ? 卑下したり卑屈になったりするのは、マスメディアの影響か? 日本文化はワビサビが必要だし、謙虚は重要だが、卑下は見た目が汚いので僕はあまり好きじゃない。(もしかして謙虚と卑下の見分けがつかないのか?)
自炊が趣味なのだが、自炊をやめて他の時間につかえばよい。コンビニ弁当でもなんでもたかだか500円しかしないのだ。そちらのほうが時間的投資額は小さい。趣味で自炊をしている。何か問題があるのだろうか?
だから節約術うんぬん言ってるやつは暇人だと僕は決めているし、暇人で何が悪い、そういう趣味だ娯楽だ、というのが正しいと思っている。家庭菜園も同様。あんなの趣味だ。多くの人が、趣味を舐めすぎている。