僕の定義する「ワガママな人」

僕の叔母は、とても人当たりが良く、よくしゃべり、顔も広くて多くの人と友達になるタイプの人間だった。豪快に笑いながら僕みたいに誰とも関わらず部屋の隅で膝を抱えて人間関係を拒絶しているヤツに平気で近づき、背中を叩き「こっちきてみんなで遊ぼうよ!」とか言っちゃうタイプの人。
ある法事の席で、血縁者が一同に集まったとき、その叔母は各席を回り酒を注ぎ、いろんな人に話しかけていた。僕の席に来るといつもどおりの笑顔で「がんばってるゥ?カノジョできたの?ねえ」と話しかけてきた。少し話をしたあと、彼女は別の席に移動して、他の人間に話しかけていた。
僕は叔母を眺めていて思った。「この人は、なぜこんなに多くの人に声をかけるのだろうか」僕は自分の席から動かず、ただぼんやりとその光景を眺めていた。僕の隣に座っていた従兄弟が「叔母さんってワガママだよねぇ」と言った。僕は首をかしげた。
僕の定義で言うのならば、僕こそがワガママであり、彼女こそが気を使っている。だが従兄弟は、まったく逆の定義をしていた。どうも、ときどき、こういう状況になることがある。
それは面白いことだから、わりと見たい。自分がいつの間にか思いこんでいることがある。誰に言われたのか思い出せないほど原始の記憶として、刷り込まれていることがある。