すべての感覚は主観でしかない

読んだ、恋愛した、食べた、寝た。すべての感覚は自己という主観でしかない。客観性とは主観性の集合体である。何人もの人格が相互に情報交換をしている、それが客観の本質だ。
自分がそうだと思ったらそうだ、というだけ。どのように定義しているかによる。別にたいしたことじゃない。あなたは本当に一度でも、生きたことがあるんだろうか? 生きるが定義できれば明確になる。だけどそれだけで、明確化してだからどうかしたのか。チーズを食べたことがあるヤツがいるだろうか? チーズってそれ、本当にチーズか? 他人と話したことがあるか? それは本当に会話か? そういう僕の主観。

どこからが「その本を読んだ」レベルになるの?
http://anond.hatelabo.jp/20081212033854
「読んだ」の定義による。あなたの定義で見るならば、僕は本を読んだことが一度としてないかもしれない。でもそれはあなたの定義であって、僕の定義ではない。僕とあなたの定義が同一である必要性はない。そもそも同一である、ということさえ思い込みにすぎない。