鍛えると広がる

突然だけど、ブラックコーヒーって飲める? 僕は飲める。
でも、最初から飲めるわけじゃあなかった。僕がブラックコーヒーが飲めるようになったのは、社会人になり数年経ってからだ。それまで缶コーヒーは飲めたが、ブラックコーヒーは飲めなかった。打ち合わせなどで出されるコーヒーは、常に砂糖とミルクがなければ飲めなかったし、インスタントとドリップの区別もできなかった。
ところが身近でブラックコーヒーを飲んでいる人がいて、なかなかカッコイイ。うん、喫煙者にあこがれる馬鹿面した子供みたいだけど、僕がブラックコーヒーを飲みだしたのは、まあだいたいそんな程度の理由だ。そこで、その人を真似てみることにした。最初は苦くて飲めなかった。飲むとエヅくし、胃が痛む気がした。こんなの飲むやつがいるのか、と思っていた。なので最初は一口だけブラックで飲み、砂糖とミルクを足すことにした。やがてその比率がだんだんとかわり、いつの間にかブラックで飲めるようになっていた。
ブラックで飲むようになると、次第にコーヒーそのものの味の区別がつくようになってきた。砂糖とミルクを入れているときは、砂糖やミルクの分量で味が変わっていたが、やがて豆そのもの微細な味の違いがわかるようになってくる。豆の種類、分量、挽き方、炒り方で味の区別がつくようになってくるのだ。コーヒーのウマイマズイもわかるようになってきた。以前はどれも同じだったのに、今ではまったく違うもののように感じる。逆に砂糖やミルクを入れると、口の中に甘さが残り、飲んでもすっきりとしないと感じるようになってきた。
これは舌を鍛えた、ということだ。
紅茶もコーラも牛丼もそうだが、食べ続けているとやがて鍛えられ、味の区別がつくようになってくる。ダージリンのファーストフラッシュとセカンドフラッシュの違いもそうだし、コカコーラとペプシもそうだし、吉野家松屋も同様だ。
いままで舌の話をしてきたが、これはアニメも漫画も小説もスポーツもオナニーも仕事も盆栽も料理も、すべての分野において言えることだろう。
「鍛える」ことにより、世界は広がる。