インスピレーションの形状

インスピレーションとはなんだろうか。閃光のように、という表現がなされるが、僕の場合、沼の水面のようなイメージがある。
僕の中には、大量の情報が溶けた沼がある。沼の中の情報は、言語もあるし、音もあるし、映像もあるし、味、におい、感触、感触的なもの、感情的なもの、すべてが一緒くたになって、溶けている。まったく形を成していない。沼を覗き込むと、中はゆっくりと動いており、何かが浮き沈みしているのがわかるが、実際に何が浮き沈みしているのかは、よくわからない。沼の底は深く、混濁しており、まったく見えない。浅瀬の上辺だけ、ほんのりと何かが入っているというのが見える。
沼からゆっくりと見えるそれを、注意深く拾い上げる。するりと指の間を抜けてしまうものもあるし、しっかりとした手ごたえを感じることもある。
そして沼から引き上げられたそれだけが、この世に存在できる。拾い上げることができたものは、アイデアとなる。アイデアの保存形式はさまざまだ。言語だったり、音楽だったり、動きだったりする。
沼の上辺でなにかが見えたような気がする、という勘違いがインスピレーションのように思う。見間違いと何もかわらない。
思考とは、この沼から何かを拾おうとする行為である。また、拾い上げたアイデアを使い、沼から、さらなる何かを拾い上げることができたりする。何かを拾おうとする意志、つまり思考しようとする意志が、インスピレーションという幻想を生み出す。
時々、「神の啓示だ」と思う人間がいるようだ。僕はそれを否定する。本人がそう思考したから、そのインスピレーションを受け、沼から何かを拾い上げようとしたはずだ。人間の意志のほうが、神の意志なんぞよりも上だ。

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金田夫妻 けらえいこで検索すると「関連検索: けらえいこ 離婚」って出ててビビった。
人類は衰退しました2 読了。妖精さんならなんでもアリです。