中国バッシングに見る脅威

中国製品へのバッシングがすごいですけど、見ていて不思議なのが「中国製は駄目!だから他国の製品は大丈夫!」という話の展開。そこの「だから」は繋がらない。製造品もそうだし、食料品もそうだけど、国産だから安心だ、という意識は少しだけ怖い。
どういう意識で、その安心とやらを確保しているのだろうか。中国製のものが、どんなに駄目でも、日本製のものもちゃんと検査基準を通したものじゃないと意味はないし、日本企業だから言われなくても人道的にそれはできている、というのは、驕りじゃあないか。現に賞味期限偽装問題なんかも、わりと多く見かけるし。
そして賞味期限偽装問題についてよく言われる「いつになったら食の安全が確保されるのか」なんて台詞も疑問がある。そんなものは永久に確立されないのだ。なぜなら「安全」の定義が時代によって違うから。昔からそういった偽装は続いていて、危険なものを食べているけれど、日本は長寿大国になった。第二次世界大戦アメリカの占領下に置かれ、明らかに劣悪な環境にあったとして、危険な食べ物なんて溢れていたはずなのに、日本の健康の何が問題なの? そもそも健康って、そんなに重要なのか?
中国バッシングを見ると、なんだかイジメを見ているようで、ちょっと悲しい気持ちになる。別に庇うつもりもないんだけど、多くの人は、イジメられるヤツが悪いんだ、って言っているように見えて、なんか、落ち込む。なんだかなぁ、もっとさぁ、すばらしいことが世の中にはあるはずなのになぁ。面白いこととかさぁ。
もっと豊かになれる、成長の余地がある、という風に捉えておくか。

                • -

銃夢(11) 不屈とは、折れたことがないという意味ではない。折れてもなお、立ち上がる者を言うのだ。