過程と結果

最近、シフォンケーキを焼く話をネタにしていて、このネタを話していると、ときどきヘンな違和感があった。僕は思いつきでヘンな料理を作ることがあって、最近だとラザニア作ったとか、グラタンにハマってるから作るとか言うんだけど、そういう自炊料理の話になると、たまーに言われる。「ちゃんと作ってて偉いね」って台詞。なーんか、ヘンだ。なにがヘンなんだ? それがなんなのかようやくわかった。
過程と結果を見間違えているのだ。
ケーキを焼くのが特に顕著だと思うのだけれど、ケーキは食事ではない。食べなくても良い。つまり無駄であり、余剰である。贅沢と言いかえてもいいだろう。食べたければ買ってくれば良いし、プロが作ったもののほうがうまいし、明らかにそちらのほうがコストが安い。作るのに1時間必要だとして、君の時給はいくらだ? ちょっと考えれば明らかである。餅は餅屋の理由はそういう理由だ。
では、なぜ作るのか? 答えは「作りたいから」である。作りたいとは「過程」である。この考え方でケーキ作成というものを捕らえるならば、ゲームのレベル上げをしているのと、大差ない。「結果」として食えるものができたか、強いキャラができたかの違いだけで、両者の動機は同じである。面白そうだと思ったからやった。ただそれだけだ。
ところが、多くの人は結果しか見ていない。「将来の役に立つ」とか「生産性がある」とか「食べられるものができる」とか、すべて結果である。評価、反省、考察などは、結果がわからないと導き出せないためだろうか。