これが、これからの「面白さ」なのか?

吉野家テラ豚丼が騒がれていますが、ケンタッキーのゴキブリ油揚げもちょっと話題になりましたね。ケンタッキーの人は、「テラ豚丼おもしれぇ!」と評価して、自分もゴキブリを揚げたことを書きました。多くの人が批判するように、まあアホな子だな、とは思うんですが、ちょっと違う視点からの考えてみよう。
彼はあれが「面白い」と言った。なるほど。テラ豚丼の人も、たぶん本人が面白いと思ったから動画をアップしたと思う。問題になるかならないかは、全然別の問題で、あれが、面白い、と思ったのだ。
ちょっと前に、猫を虐待している画像を面白がってインターネットに公開し、つかまったヤツがいた。そいつはそれが面白かったのだ。酒を飲んでクダ巻いてる男たちは、あれが面白く、スイーツを追いかけている女たちは、あれが面白いのだ。人は面白いことをしている。他人の同意を得られるかどうかは知らないが、自分が楽しいと信じることへ進んでいく。
僕はテレビを見ない。なので、最近のお笑い芸人を見ても「あれのなにが面白いの?」と思ってしまう。しかしそれが「つまらない」と言われると、そうではなく、あれが新しい世代の面白さなのだ。これから若い人間が、どんどん新しい面白さを構築していくだろう。新しい面白さを否定し、古い面白さにすがりつく老害に、僕らはなっていく。
だとしたら、テラ豚丼も、ゴキブリ揚げも、きっとこれからの子供たちの面白さなのではないだろうか?
ただ。
そうだな。
もっと、面白いことってあると思う。生きたまま生物を油で揚げるとか、ゆでるとか、分解するとか、解剖するとか、子供の頃、試さなかったのか? トカゲの尻尾を切ってみるとか、花の蜜を舐めてみるとか、多くの老人たちはそういうことをした経験がある。最近流行っている「面白いモノ」は、老人たちから見ると、すごく、幼稚な楽しみ方に見える。弱いものをいじめて、食べ物で遊ぶ、自分たちが幼児のときに親から怒られた程度の稚拙さで、猫程度の脳みそでもできる楽しみ方をしている。
だとしたら、
もっと面白いことをしなさい。「面白さ」とは、そんな程度ではない。