リアルとネットの区別について

リアルとネットは違う、っていう視点の高さは、僕には中途半端に見える。
「自分の人格がどういう形状で顕著に出ているのか?」というのを気にしているのだろうか?
ネットとリアルを区別するのはなぜ? 僕はリアルの中でさえ分断されているし、ネットの中でも分断されている。対応する人間ごとに分断されているし、相手にする人間の組み合わせで、また現れる僕の人格は違うだろう。
たとえば、会社、自分のブログ、mixi、家族の前、友人、全部人格が違う。会社じゃないと出てこない人格もいれば、いつでも誰でも発現している人格もいる。複数の人格が立ち上がっているなんて当たり前だ。僕が多重人格構造だからか? 親の前にいるのと、友人の前でいるので、同じ人格なのって、破綻しないか? 友人と会社とが同じ人格で、オタ話するのか? じゃあネットとリアルが分断しているんじゃあなくて、リアルだけでも分断しているじゃあないか。
「区別すること」が重要なのではなく「何を持って区別しているか」に依存する。「ネットは虚像だ」という人間は「実際に会った人間だけが真実だ」と定義したのだろう。個人の自由である。僕はそう定義しないだけだ。

参考文献:上の文章の参考にはなっていませんが。
ネットとリアルの関係(304 Not Modified)
http://maname.txt-nifty.com/blog/2007/10/net_real.html
やがてリアルと融合するであろうネット(北の大地から送る物欲日記)
http://d.hatena.ne.jp/hejihogu/20071027/p2