「何もしない」となぜ言えないのか

「夏休み、どこか行かれますか?」と聞かれたら「家で写経します。あと部屋の隅でひざを抱えながら畳の目を数える」と答えます。こんにちは、k4です。これを3回ほど繰り返すと、誰にも聞かれなくなります。僕は、ものすっげー楽しいことは、他人には一切教えません。自分で見つけてください。
なんかさぁ。世の中、スゲェじゃん。スゲェなって思うのは、このクソ暑いのに、旅行とか行っちゃう人がいるわけでしょ。屋外に出てさ。僕なんて太陽に当たるのさえ嫌がるのに。太陽の光のアレルギーなんだ…って言いながら納骨堂で寝るっつーの。
もう、そんな疲れること、したくないわけ。僕は。普段からそんなに働いているわけでもないし、僕なんかよりずっとつらい労働しているやつがいるのかもしれないけど、そいつは望んでそれをやってんだろ?もしくは僕よりすっげーいっぱい給料もらってんだろ。じゃあ納得してやってんだろ。暑いのにゴクローサンンッって感じだが、まあ僕に不便じゃなければどうでもいい。
ただ、なんか、長期休暇ってどこか行かなくちゃ損した気分になる本質って、貧乏だからだ。金銭貧乏じゃあなくて、休暇貧乏っつったらわかりやすいだろうか。つまり休み慣れていない。1000円ぐらいのケーキでも食べながら、2000円ぐらいの紅茶を飲んで、だらだらくだらねーなんの役にも立たない世間話をエアコンの効いた室内でしている僕の夏休みが、せせこましい緻密な時間計画を立てられこのクソ暑い中、屋外を歩き回る京都旅行をしてきた君より、ほんのちょっぴりでも劣ると君は言うのか。
どんな者だろうと、人にはそれぞれ、その個性にあった適材適所がある。王には王の、料理人には料理人の…それが休暇という事だ。「優れている」「劣っている」という概念はない。