パンチラ引力論 −なぜ視線がそちらにいくのか?−

ローライズってあるじゃないですか。「鯨尾」と呼ばれるパンツが上から半分ぐらい見えている、あの服のことなんですけど。あれって、パンツですよね。あの、いっつも多くの女性が隠したがるパンツですよね。スカートとか、短いの履くくせに、一生懸命鞄とかで女子高生が隠しているパンツですよね(しつこい)。ローライズで見えるパンツの上辺は平気なのに、スカートがめくれ見えるパンツの下辺はなぜ気になるのか、を考えてみた。見せる側の意識と、見る側の意識でまた違いそうだが、今回は見る側の意識について考えたい。なぜなら見せる側の意識は僕はわからんからだ(正直、これもローライズでパンツが見えている女性に聞いてみたいが…)
見えているのは同じパンツなのだが、意識が違う。上から見るのと下から見るので扱いが違う。スカートが短く、ぎりぎり下から見えそうだったら、男なら思わず目が行ってしまうだろう。実際見えたら「いや、別に、ただのパンツだな」って思うだけなのに、この見えないぎりぎりが一番楽しい。なぜだ。自分のことなのにわからん。おっぱいについても同じような意識がある。触ったらこうだろうな、って想像や感触まで完全にロードできるのに、目がいってしまう。なぜ男はおっぱいが好きなのか。
そこでちょっとスケールを変えて考えてみよう。たとえば顔を出してはいけないイスラム圏のエロ本。水着の女性が写っているだけで発禁だし、所有しているだけで懲罰らしい。彼らの意識でいれば、日本は顔が丸出しで「そんな、モロ出しじゃん!」って意識じゃあないのか。ところが僕にはそんな意識はない。なぜだ。たとえばヌーディストビーチ。全員丸出しだ。それは見たいといえば見たい気もするが、それはなぜだろう? 違いはなんだ?
思うに「見せてもよいもの」と「見せてはいけないもの」という二つの意識にあるのではないだろうか。これは見せる側と、見る側の両方にそれぞれ意識がある。チラリズムは隠されているものが、ほんの少しだけ見えるから、注意をひく。「隠しているもの(見せてはいけないもの)を見たい」という意識は、安全を確保したいという意識に直結している。
男がおっぱいが好きな理由は、「見せてはいけないもの」と認識されているからではないだろうか? 常時触れるような状態にあったら、たとえばマウスぐらい意識することもなく触れる状態にあったとしたら、誰もおっぱいなんて気にしなくなってしまうのではないだろうか。アフリカの原住民のような、女性が胸を隠す文化がないところだったら、おっぱいなど気にしないのではないだろうか。
ローライズの上から見せている部分は、隠していない。「見せてもよいもの」に分類されている。だからチラリズムではなく、視線を集めない。プールで水着女性が堂々と歩いているのを見ると、パンツよりそっちのほうが薄着だと思うのだが、それは「見せてもよいもの」と認識しているから、視線を集めない。
普段顔を隠しているイスラム圏で、顔がチラリと見えたら、チラリズムだ。それは「見せてはいけないもの」という意識があるからだ。普段全裸のヌーディストビーチには、チラリズムという原理そのものがないことになる。
結論としては、男がパンツをスカートの下から見たがるのは、女が普段隠しているからだ。一種の集団催眠状態であり、常識や恥じらいのように、文化的な集合統一意識であると考えられる(いつもどおりの超暴論)