魅せ方 −旭山動物園の形状−

k4k2007-05-27

旭山動物園に行きました。
水中に飛び込む白クマ、上空を泳ぐペンギン、筒を通り抜けるアザラシ、空中散歩するオラウータン。数々の「魅せる技術」を駆使した動物園、旭山動物園に行ってきました。旭山空港から30分もかかるし、アクセスは非常に面倒。東京都の気温差は15℃あり、衣服にはかなりの注意が必要。だけど、行って大満足した。すごい。なんというか、意思を感じる。今でこそ来客数が日本一になり、施設にも金がかけられるから、円筒形のアクリル通路なんかも作れるが、重要なのはそこじゃあなくて「動物で魅せよう」という意思だ。
旭山動物園を眺めながら、思ったことがある。それは
「なんでいままで誰もやってないの?」
だ。旭山動物園がやっていることは単純なことだ。別に、誰も真似できないわけではない。旭山動物園は、来客数が少なく、取り潰しの危機にあった。そこで職員の誰かが人を呼び込む方法を考えた。最初は簡単にできることから始めたそうだ。『エサを食べるところを見せるために、ガラスに蜂蜜を塗る』どの動物園でもできたはずだ。なぜ誰もやらなかったんだ? それはコロンブスの卵だったのか?
思うに動物園の職員って「動物研究者」であって「動物を使って金儲けをするエンターテナー」ではないのだろう。動物園とは、動物の研究施設とくっついている場合が多い。水族館もそうだが、海洋研究所とくっついていて、その一部を公開しているだけであって、水族館という単体のエンターテイメントではないのだ。
動物園は、研究所の一部を公開しているだけであって、エンターテイメント性はオマケみたいなものだ。職員は動物の研究者でしかない。さて、そういった研究施設があったとして、金がなくて研究施設がつぶれそうだ、としたら、どうするだろう? 研究者だったら、国家や省庁や市町にに対して金を要求するのが普通ではないだろうか。研究のための援助資金を求める。そして、もしどこかの動物園がつぶれたとしたら、他の動物園に動物が引き取られていく。だったら自分もその動物園にうつって、動物の研究を続ければいい。それが研究者のウィーケストリングだ。エンターテイメントで儲けようなんてことは考えない。そんなのは金儲け主義のエンターテナーがやればいいだけだ。
動物園の形状とは、そういった研究の一部を見せるというコンセプト(概念)だし、デザイン(設計)だ。
旭川はそれを打ち破った。エンターテイメントで儲けようと、研究者が思った。研究者は動物の行動ならお手の物だろう。魅せる方法なんて簡単だったはずだ。そうやって旭山は動物園というエンターテイメントの界の頂点に登りつめた。
これを見ていて、横浜にある「よしもと水族館」を見たときのことを思い出した。よしもと水族館は、研究施設ではない。まずエンターテイメントがあり「水族館をつかって魅せよう」という形状だ。「エンターテイメント→水族館」なのに比べ、多くの水族館は「研究施設→水族館」という形状をしている。よしもと水族館は、まず「魅せること」であり、客を集めることが主眼になっている。だから施設は小さく、設備はしょぼいのに、見ていてとても面白い。魅せることを主眼にしているからだ。当たり前のことかもしれないが、研究者にはその視点がない。研究者からしてみれば、研究をすることが重要であり、研究をすることが本人にとって面白いことであって、一般公開し、動物たちを魅せることなんてのはオマケもしくは足枷ぐらいなのだろう。
動物園も水族館も、これからはエンターテイメントへの道が望まれる。僕は一般人なので、研究者としてそれを楽しむことが難しい。ただ、エンターテイメントの問題点は、動物に強要する部分があるということだ。「レッサーパンダ風太君が立つ」というエンターテイメントで人を呼べるのはわかる。しかしレッサーパンダを立たせることは、自然な状態を見せているのではないはずだ。高い位置にエサを置いて、レッサーパンダに立つことを強要している。また、魅せるを主眼にしすぎたためにボリショイサーカスのような方向になってしまうと、ちょっと意味が違ってくる。「自然な状態を見せたい」という旭山動物園のデザインを学んで欲しい。旭山動物園よりずっと面白い見せ方があると思う。