現在、思考中。

おそらくまとめれば、マナーの問題点が見える(予感がする)。まだ不定な変数が多く、ひっくりかえす余地が十分にあるような気もするが、現時点では思いつかない。時間が経ち成熟すれば認識できるかもしれない。自分で考え、自分で決めるんだ。定義するものが存在するものだ。テーブルマナー、食事マナーを中心に考察。マナーそのものへの展開。

マナーについて

僕は口をあけてモノを食べる人間と一緒に食事をしたくない。では、僕のマナーがなっているのかと言われれば、不明だ。どこかで習った気はするが、覚えていない。そもそもマナーとはなんだ。総源流お作法で言わせれば、シュークリームはまず横半分に割ってから食べるのがマナーだと言われて、それを守れる人間がいるのか。それはマナーか。それと口をあけて食べるのは無作法というのと何が違うのか。マナーを決めたのは誰だ。マナーがなっていないと言う人間は、マナーがなっているのか。
マナーとはなにか。

マナーが存在する理由

マナーとは、同席する他者が不快な思いをしない、ために存在している。とするならば、同席するものが誰もいない一人の食事の場合は、マナーは存在しないことになる。また、同席する人間によって、マナーの質が違うことになる。
では、大衆食堂のように、多種多様な人間が存在するところでの食事のマナーとはなんだろうか?
また、「他者が不快な思いをしない」と定義した場合、店の大半が若い子供で、床に座りながら手で物をつかんで食べている場に入った場合、マナーとして、自分はその態度を受け入れることができるのか?

僕がマナーがなっていないな、と思う瞬間

口を開けたままモノを噛む(この場合、席がかなり離れていたら、どうだろうか?僕に音が届かないほど距離が離れていたら、関係ないと思えるのではないか?)。食事中にタバコを吸う(同上)。鼻をかむ。たんを吐く。吉野家で食べ終わっているのに居座る(マクドナルドなどは、居座っている。なぜそちらは大丈夫で、吉野家はダメなのか)。店員に絡む(パブやキャバクラなどは、店員に絡む。バーだと店員から話しかけてくることもある。酒があるから?違う。居酒屋だって酒はある)。変数が不明確。このレベル自体を削除可能。テーブルマナーについてのみ付言し、他が書かれていない(多すぎるし)

マナーの問題点

マナーの最大の問題点は、共通意識ではないのに、それが共通意識だと思いこめるところだ。これはすごいことだ。集団催眠を超え、洗脳に近い。どこにも書いていないのに、それが当たり前だと多くの人が思い込んでいる。マナー、常識などが当てはまる。
「言わずもがな」という共通意識の強要についての考察。
僕の考える重要な、しかし僕も実現できていない問題解決方法がある。それは「僕の気分が悪いから、それをやめてくれ」と相手にちゃんと言うこと。
マナーや常識を振りかざす人間が、一番気をつけるべきことであり、問題を最短で最小ダメージで最大効果を引き出す方法は、口に出して言うこと。しかし、それは矮小なプライドを犠牲にする必要があるデメリットがあり、それが一番難しい。なぜならそのプライドを犠牲にするというコストを、まったく見ず知らずの人間に対して支払えるかどうかの問題だから。
行列を認識できない子供に「これは行列です、並びなさい」と教えないで、「マナーが悪い」とか「親の教育が」とか「常識がない」なんて陰口をたたいて、問題が解決するなんて思っている人間の…いや、それはそれで幸福か。酒を飲み、会社の愚痴を言っていれば、幸福になれる人間がいる。それと同じか。

マナー問題についての展開

それ以外に解決方法はあるだろうか?
また、それがもし解決したとして、他の問題が出てこないだろうか? 電車で禁煙と喫煙を分煙しました。しかし今度は、禁子供席や、禁弁当、禁男性車両などの希望が出てきた。これはなぜ?つまり問題はどこまでも細分化していき、解決などというものはないのではないか?
事実、食事マナーについては、総源流お作法と展開流お作法で流派が違えば、マナーだって違う(そんな流派はないです、適当につけました)。中国と日本では食事のマナーが違う。海外の人間はどうすればいい? それをどうやって伝える?