メタ思考とオタ思考

ときどき「メタ思考」という単語を見かける。僕の文章の評価として言われることもある。どういう意味なのかよくわからなかったので調べてみた。

メタ(meta-)とは、「高次な―」「超―」「―間の」「―を含んだ」「―の後ろの」等の意味の接頭語。
広義に、何かを取り込んだ何か、何かについての何か、といったものがメタと呼ばれる場合がある。
wikipedia参照

なるほど。「考えることについて考える」という文章を書いているから、メタ思考と言われたのか。いわゆる「抽象化」のことであり、僕の目指す思考の一つではある。メタ思考のスタンスは、視点を現在よりも高くし、いままで違う現象に見えていた二つの物事を、一つの物事として見ることにある。ザクとグフの違いと、シャネルとコーチの違いをメタ思考することで一つの物事として見る。メタ思考の重要点は、視点の『高度』にある。
じゃあメタ思考の逆ってなんだ? 
僕はそれを『オタ思考』ではないかと考えた。
たとえば、ザクとザクIIの違いや、先行量産型と初期量産型、地上用と宇宙用、その違いを知るには、メタ思考ではたどり着けない方向性にある。視点を深くし、よりよく見ること。いままで同じ現象に見えていた一つの物事を二つの物事として見ることにある。それはオタ思考であり、視点の『深度』にある。
メタ思考が「高度」にあるように、オタ思考は「深度」にある。視点が高くなっていけばいくほど、物事が抽象化されていくように、深くなっていけばいくほど、物事が細分化されていく。高度を上げることでメタ思考はどこまでも進んでいくように、深度を下げることでオタ思考はどこまでも進んでいくことができるだろう。

僕はメタ思考のことを、抽象化と言ったり、マクロ化と言ったり、巨視化といったりする。オタ思考のことは、具体化、ミクロ化、微視化と言ったりする。言い方が違うだけで同じ内容だ。重要なのは視点の移動であり、物事の認識の範囲にある。
メタ思考が偉いとは思わないし、オタ思考が偉いわけでもない。僕は両方見たい。メタ思考もオタ思考も、するのは個人の自由だ。高さ深さの視点変更ができない人間も多いだろう。僕だってできない。だから、そうありたいと目指している。ないことが恥ずかしいわけではなく、ないことを自覚するところから、始まる。