無意味の意味、理由の理由

ソニー社員のフェレット虐待について、なんか、まあいろいろなところで、いろいろな意見を言われてますけど、ちょっと違う視点からの感想。いいか悪いかとか、許せるか許せないかとか、そんな話はしません。そういった意見をいろいろ眺めていて思ったのは、
認識の違いというものを
他人に理解されたいのだろうな、だけど
他人を理解しようとはしないのだな、よって、
双方は理解し合えないのだろうな、
ということ。

理由がある理由は、攻撃と防御である。理由とは「他の理由を攻撃すること」であり「自分の理由を防御すること」である。他人の理由を攻撃するために「法律では」とか「人間性」とか「常識」とか言う単語を使う。自分の理由を防御するために「理性」とか「かわいさ」とか「一般的に」とか言う単語を使う。
そしてすべての理由は後付だ。所詮、理論武装なんてのは、そんな程度の薄っぺらい存在だってことだ。まあ、パンツだって薄っぺらいけれど、履いているのと履いてないのでは、だいぶ違うしね。そうそう。擁護する気は、全然ありません。あ、今気づいた。認識の違いを理解している人間は、発言をしないだけか。