性同一性障害についての私見

正直、身近にそういう人間がいないので、勝手な想像だ。そして僕の考え方が一般的ではない。ただ、僕という単一の存在は、そう考えるというだけだ。特別彼らを煙たがることもなく、また特別視することもない。身体障害者だって、欝患者だって、同様だ。ただ彼らに「不便そうだな」と思うだけだ。それは老人にも子供にも、同様のことを思う。つまり特別なことではない。

性同一性障害で悩んでいるという話を聞くと、一般倫理が強い概念として、そいつを縛っているのだろうな、と想像する。
なぜそれはダメだとか、特別だと思うのだろうか。別に良いじゃないですか。同性が好きだという友達がいて、何か僕にとって不利になることがひとつでもあるのか? 男が好きだという男友達がいたとする。だからどうかしたのか? 僕は女のほうが好きだ。だが女なら誰でもいいわけではない。男だって同様じゃあないの? 男なら誰でもいいという男がいたら「野生動物か? オマエは」と言うだろう。だけどただそれだけだ。
戸籍を女性にしたい、という男がいたとしたら「なぜ?」と聞いてみたい。そんな書類が君にいったいどれだけの影響を及ぼすのか。男の人と結婚できないじゃない! といわれそうだが結婚なんて紙切れの問題でしかない。そんなに君に影響を及ぼすんだろうか。親権や相続権や税金の問題は起こるだろうけれど、そういった権利を主張するとき以外で、結婚ってそんなに特別なことだろうか? そいつにとっては特別なのかもしれないが、それは一般倫理に縛られているだけだと、僕は考える。
倫理を捨てろというわけではなく、自分が縛られているものがなんなのかを認識したほうが良い。自分が自分で鎖を巻きつけているくせに、他人に「自分は鎖に縛られている被害者だ」という人間のなんと多いことか。鏡がなければ自分が見えないほど、自分とは見づらい存在ではあるが。

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