僕は、人間をやめるぞ、ジョジョ。

いろんなものを、いろんな側面から、またいろんな方向から、時には俯瞰し、時には拡大し、時には分解し、時には接合して、見ているつもりだ。もちろんそんな気になっているだけで、まるで見えていない情けない矮小な人間ではあるが、そういう視点を持ちたいとは思っている人間でもある。

そして、眺めていて、気づいたことは、多くの人間は「性欲」というものが強烈に絡み付いている、ということだ。なぜだろう?合コンも、ナンパも、性交相手を探しているだけではないか。人間は動物なので、それを否定する気はない。むしろ否定するのは、合コンやナンパをしているヤツが、「そんなんじゃないよ!」と否定するんじゃないの?(合コンやナンパをする人間に知り合いがいないので、想像だけど)なぜ、風俗に行く?なぜ恋人が性処理の相手なのだ?親兄弟は性処理の相手にはならないが、愛する人だろう。同様に、恋人や夫婦間も性欲のない関係で、なにか問題があるのか?なぜ性欲というものが、愛と恋と勘違いされたり、同一視される?子供を生むのと性欲は密接な関係があるが、避妊が進み、堕胎が可能な世の中で、性欲に流されず、子供を生む人々が増えているということではないのか?少子化の根底は、そこにある。それが真理なのだろう。ショウペンハウエルも言っている「性欲がなく子供を生む世界があったとしたら、果たして人類は生き残るだろうか?」

さて、先ほど合コンやナンパは性交相手を探す行為ではなく、「人脈を広げたい」からだ、という「強欲」な人間もいる。性欲を取り除けは、ほかの側面が出てくるのだろう。「強欲」もまた、人間に強烈に絡み付いている。それだけ成功しているのに、また生きていくのには困らないのに、さらにさらにほしがるのはなぜなのか?また、複数の性交相手を持ちたがる人間はどうだ?自分がちやほやされたいから、という人間はどうだ?それは「高慢」じゃあないのか?

おそらく、人間は七つの大罪で構成されている。逆に非モテと呼ばれる人間は、この罪を克服する可能性が高いのではないか?彼らは「嫉妬」の罪を持っているかもしれないが。人間と野生動物の違いはどこにあるか考えたことはあるか?世の中のモテなんて、性交相手を見つけるために着飾るオウム程度が、偉そうな口をきく。そして、そのくだらん鳥の言葉に惑わされる程度だ。そしてきっと、動物をやめた人間は、すでに人間ではない。聖人というべきか、どちらかというと怪物(バケモノ)だろう。