変質

ある人間がいて、そいつがそもそも非モテだったとする。「そもそも」ってのはヘンな話だが、気づいたときには、って感じだろうか。その非モテが、あるとき「モテになろう」と努力しだした。友達の薦めだろうか、何かに目覚めたのだろうか、やり始めの頃はぎこちなく「なに無理してテンションあげてんだよ、気持ち悪い。落ち着かないよソレ。」と思えるような格好と話し方。自分のテンションを無理やり上げているようなぎこちなさがあったのに、眺めていたら数年もすると安定してきて、そのテンションが普通になってきた。つまり常時高出力になっていった。見知らぬ人間に話しかけ、その場を楽しげに盛り上げる。アドリブで笑いもすぐできる。そうやって、いつの間にか、本当に、モテになってしまった。そんなヤツいるのか?って思うだろうが、現実にそうした変質を遂げた人間を見たことがある。
そもそも、そいつの中にはそういった「種」が存在していて、そいつが「芽吹いただけ」なのかもしれない。生来の非モテと名乗る人間には、その種がないのかもしれない。「努力してみないとわからない」と人は言うだろう。しかし、そのスタートができないところが「種がない」のかもしれない。
ただ僕は、種があるかどうか、というよりも、自分で自分の体質というか、性格的なもの内面的なものを変質させる人間の柔軟性を信じたい。人間にはそれができる。僕もきっといろんなものになれるだろう。ただ、そうなりたいよりも、もっと面白いものを見つめたい。モテになるとくだらないバカの相手もしなくちゃいけないだろう。友達の多い、人付き合いの好きな人間は、それだけトラブルも多いだろう。それよりも、もっと面白いことがあるはずだ。だからそちらに行かないだけ。やればできる子なんだから理論。やるかやらないかの違いはそれぐらい大きいってトコでしょうか。