正義の悪意

「よかったな、敵ができて。」
ある神父が、正義の味方に対して言った言葉だ。

電車に乗ると、七人掛けの席に男が六人座っていた。残り一席は狭い。狭いが、これから40分近く乗っているので、しかたないのでそこに座ることにした。ところが、隣の席の男が、本にマーカを引いて作業している。勉強をしているのか、仕事の作業をしているのか。英語の本だ。勉強熱心なのだろう。狭い席に座ったので、作業するのが困難になったのか、その男はわかりやすくため息をついて、肘鉄を何度もこちらに入れてきた。もちろん狭い席に座ったことを非難しているわけだが、言葉にすることはない。こちらは狭い席なので、ぴったりと動けず、あきらかにごそごそと動いているのは、その男なのだが、彼は自分が正しいと信じてる。だからこちらに「どけ」とアピールしてくる。意識しているかどうかはわからない。どうしたいのか明確な意思があるわけではないかもしれない。(こういう人間はたいてい問題解決能力が低い。閑話休題
町は、証券会社の本社が立ち並ぶオフィス街で、降りる人間の大半は労働でここに来ている。サラリーマンは誰もが無言で足早に歩いていく。電車を降り、階段を上る。狭い階段なので二人が並ぶと、道はふさがってしまう。くだりとのぼりが混在しているので、実質、一人ずつしか上り下りができない。その階段を場違いな叔母様が並んで話しながら歩いていた。「せわしないわねぇ」「譲り合いの精神とかないのかしら。」彼女は自分が正しいと信じている。二人並んで自分達が道をふさいでいるという意識は一切ない。

自分が正しいと信じることが、悪を生んでいる。自分を信じる能力は必要だ、自分を疑う能力も必要だ。問題なのはその両者が本人のコントロール外にあることだろう。どちらか片方しかないのは、コントロールできていない。どちらもコントロールできる。しないだけだ。それが正義の味方だ。自分は正しいと信じている。自分には悪意がないと信じている。

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ネギま(14)一番の見所はサドハルナです。