聖書を片手に人殺しができる理由

敬虔なキリスト教徒が戦争で相手を殺すとき、相手は人間ではないから殺しても良いと定義する。
人は人を殺したがらない。
ではどうやって殺せるようになるのか。
それは「人ではない」と信じさせることだ。
人の定義というものは実は曖昧にできる。
たとえばあなたの大切な人を殺した人間がいるとする。そいつはほかのところでも殺戮を繰り返し、捕まって死刑になった。あなたの心は痛むか?そいつは人間か?すでに人間扱いはされていないだろう。そいつも殺す相手を人間扱いしないように。多くの悪を巻き込んで自爆するという正義のヒーローがいたとする。悪はそいつを自爆テロと名づけた。テロリスト側から見れば、殺す相手は人ではなく、受ける側から見れば、テロリストは人ではない。