物体の悪意

タバコが好きか嫌いか?といわれるとどうでもよい。酒が好きか嫌いか?といわれるとどうでもよい。麻薬が好きか嫌いか?といわれるとどうでもよい。凶器が好きか嫌いか?といわれるとどうでもよい。
あるところに歩きタバコの人間がいた。人に当たって火傷を負わせた。あるところに酔っ払いの人間がいた。大声で喚きちらし、街中でゲロを吐いた。あるところに麻薬中毒の人間がいた。空も飛べるはずと叫んで、高層マンションの屋上から飛び降りた。あるところに拳銃を持った人間がいた。引き金を引いて人を殺した。
それらは他人に迷惑をかける可能性があるモノだ。しかし車だって事故を起こせば迷惑をかけるだろう。重要なのは道具なのか?
あるタバコ業者が言った。「僕が売っているタバコは癌になる可能性がある。煙は周りの人間も巻き込んで健康にも良くないだろう。しかし吸うのは本人の意思だ。」ある酒屋が言った。「僕の売っている酒は、体を壊す可能性がある。節度を保たないのならば健康にも良くないだろう。しかし飲むのは本人の意思だ。」ある麻薬の売人が言った。「僕の売っている麻薬は、精神を壊す可能性がある。健康にも精神にも環境にも良くないだろう。しかしヤルのは本人の意思だ。」ある武器商人が言った。「僕の売っている武器は、人を殺す可能性がある。使い方によっては何人も殺せるだろう。しかし殺すのは本人の意思だ。」
重要なのは、それを使う人間のほうではないのか?どんな道具だろうと。いつでも重要なのは人間の意志のほうだ。