ブチャラティの真理と、フーゴの心理。

いつも厳しく冷たい。真理を見ていたい。そういう奇麗事を常に並べていて、そういう風にありたいと思う姿を真似している。いつかそういう風になれるだろうと思っている。ところが、実際自分が弱っているときに、同じ理屈を言われても、まったく同意できない。所詮奇麗事だろと自分が言ってしまう。
一緒にいるときが楽しいほど、別れたときは辛い。別れて悲しむほど、いい思い出がたくさんあるんだ。幸福なことじゃあないか。そう信じている。今でも信じている。しかし、実際自分がそういう立場になった時、その言葉通りに幸福とは思えない。とても辛く、とても悲しい。別に恋人の話じゃあなくて、卒業や、死別や、退職や、ほかにも多くの別れがあるだろう。そのたびに思う。奇麗事がいいたいのもわかる。そうありたいと思うのもわかる。普通の状態だったらそう思うことが正しいのだろうと思っても、弱っているときは、そう思えない。そういう人格が確実に自分には存在している。いつだって強い人間はいない。自覚するしかない。自問するしかない。自答するしかない。

ブチャラティ
だが一つだけ偉そうな事を言わせてもらう。オレは「正しい」と思ったからやったんだ。後悔はない…。こんな世界とはいえオレは自分の「信じられる道」を歩いていたい!

フーゴ
言ってる事はよく分かったし正しいよ。ブチャラティ…だけど、残念だけど…ボートに乗る者はいないよ…。あんたに恩はあるがついて行く事とは別だ…。あんたは現実を見ていない…理想だけでこの世界を生き抜く者はいない。この組織なくして僕らは生きられないんだ…。