愛するあなたを殺す僕の手

アメリカで尊厳死、というものが実行された。調査によると50%以上の人間がその状況に理解を示しているという。日本でも医者が回復見込みのない患者を殺す話がある。回復の見込みがない、とはいえ、その決断は、簡単にはできないだろう。いつか、この死に方が、万人に受け入れられる日がくるだろうか。いつか、エンドジョイが実装される日がくるだろうか。
なんらかの原因で植物状態となり、他人との意思疎通が出来なくなる可能性はある。そうなったときに、殺して欲しいと本人は思うだろうか。冷静なときの人格ならばそう判断するだろうが、弱っているときの人格もそう判断するかどうかは、ちょっと疑問だ。怖い夢を見たときのように、そういう弱い人格というものは誰にでもあるだろう。
今の、文化で言えば、50%の人間が理解を示してくれる、というだけだ。アメリカではなく、日本だったらどうだろうか。中国だったら?ヨーロッパでは?また10年前だったら?10年後だったらどうだろう?僕らはそれを受け入れられるだろうか。その判断に理解が示せるだろうか?カミカゼ特攻隊のように、魔女狩りのように、奴隷社会のように、時代の風潮で「それが当たり前だ」と信じられている時代がある。それを超えた判断を人間ができるだろうか?