この両者を取り入れることは可能か?(両立は可能か?)

あらゆる物事にたいしてそういうことを考えている。Aと同時にBは存在するのかどうか。AとBはどういう関連性があるのか。そういうことを眺めている。「テレビと時間の関連性」とか「怒りと悲しみの関連性」とか「文化と芸術の関連性」とか「ジョジョテニプリの違い」とか。同じように見えるものもあれば、全然関係ないように見えるものもある。基本的には視点がマクロになればなるほど、違いは小さくなり、ミクロになればなるほど違いは大きくなる。当たり前だけど気づいていないことが多い。
そこで…だ。今、眺めているのが、ホストとオタ。街中にいる話の内容のないホストどもと、話の内容の濃いオタは、両立するんだろうか?外見ばかりのホスト。外見のないオタ。オタの外装をホストにした場合、彼らはホストになるんだろうか?ホストは何が楽しいんだろうか?彼らは話し方のスキルは非常に高く、伝達能力が高いが、自分の中に溜め込んで濃度を高くする能力が非常に低い。オタは逆。ホストの能力とは伝達のスキルに依存するのだろうか。
そう、突き詰めていくと「オタとはなにか?」「ホストとはなにか?」という問題になる。どういう条件定義が彼らを縛っているのか?イケメンで女をとっかえひっかえしているホストは、何を悩んでいるのだろうか。キモメンで萌えをとっかえひっかえしているオタは、何を悩んでいるのだろうか。
外見が見栄えしない人間を集めてテレビでアピールされているのを見て「オタってこんな人たちなんだ」と信じているのはなぜだろう。テレビを信仰している証拠だな。そんなオタはいない。外見ばかり見栄えする人間を集めてテレビでアピールしているのを見て「ホストってこんな人たちなんだ」と信じているのはなぜだろう。そんなホストはいないのか?
ホストと話す機会があったので、追記してみる。
彼らは彼らなりの悩みがあるようだ。「悩みがないように見えるね。」と言ったら落ち込んでいた。落ち込んだフリだろう。しかし、「でも、そう見えるだけで、悩みがないヤツはいない。」と付け加えておいた。彼らは彼らなりの悩みがある。僕らは僕らなりの悩みがあるように。僕から見たら、彼らの悩みは理解できない。そして彼らから見たら僕の悩みは理解できないだろう。しかし他人の悩みを理解するなんて、親兄弟だって難しい。
じゃあ、オマエはどうなんだって?いや、わかりません。全然。
だって自分、ぬいぐるみですもん。