貧困と裕福

一昔前、三つの神器といわれた家電があった。テレビ、冷蔵庫、洗濯機。それらのものが家にある人は、とても少なくて、持っている人は一部の裕福な人だけだった。やがてそれらの家電が一般の家にあるようになり、やがて裕福の象徴ではなくなっていった。それは家電の価値が下がったからだろうか。それともみんなが裕福になったからだろうか。カメラが裕福とされた時代もある。自家用車が裕福とされた時代もある。ビデオカメラだったり、携帯電話だったり、パソコンが裕福とされた時代もある。
今はいったい何を持っていれば裕福だとされるだろうか?裕福とは何か?という問いの答えが物質に求められる時代ではないのかもしれない。少なくとも、ブランド物のバッグを恋人がせがんでいるから買ってあげるなんてのは、裕福だとは思えない。しかしその恋人が貧困だとは思える。いろんな意味で。やがて、きっと、みんなが裕福になるか、もしくはその求められているモノの価値が下がっていくだろう。みんながそれを手にすることができるようになる。そしてそのときはそのときで、きっと別な裕福が存在するのだろう。

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今日の支出
朝食 お茶 おにぎり 287円
コーヒー 650円
鼻セレブ 105円
移動費 13240円