もしかしたらそういう洗脳かも

たいていの人がそういう発想かもしれないけれど、自分が傷つくよりも、自分の愛するものが傷つくほうが嫌だ。子供のいる人のwebサイトで、アトピーのことを書いているサイトがあった。自分はなんともないのに小さな子供がそういう目にあっているのがとてもつらい。というものだった。そういうものを見ると、とても悲しい気持ちになる。この気持ちはなんだろうか。傷ついているほうが、気遣ったほうに向かって「私なら大丈夫だよ。」とか言われるとなきそう。本能に組み込まれたシステムかもしれない。
子供のころは、虫を触るのは平気だった。ゴキブリは嫌いだったけれど、カブトムシを取りにいったり、アリを分解したり、カマキリを捕まえたり、平気だったのに、いつの間にか触るのが嫌いになってしまった。あのころ、虫を素手で分解するのなんて、かわいそうだとも思わなかった、だけど今はなんとなく気分が悪い。小さい命を大切に、なんて洗脳をいつの間に受けたんだろうか。小さいころから、子猫も子犬もかわいかった気がする。虫と何が違ったんだろう?
本当のところ、本能には、そういうものは組み込まれていないかもしれない。小さな子供がアトピーだったとして、子猫を殺したとして、虫を分解したとして、ぜんぜん心が痛まないのが本当の子供なんじゃないか?僕の弟はアトピーだったので、かわいそうだなと思っていたけれど、身近にそういう人がいない小さい子供だったら、アトピーの子供の肌を見て気持ち悪いといじめないだろうか?それが自然なんだろうか。自然なんてそんな程度だろう。