社会から見て個人、個人から見て社会

料理ができない人の話を見ていて、なんか不思議に思うのだが、あんなもんやればできる。家を出るまでいっさい料理というものをしなかった僕だってできるんだから、多くの人のほうがもっとスムーズにできるだろう、と予想している。
料理ができるからスゴイとかエライってわけじゃあない。お裁縫したり、野菜を作ったり、車を運転したり、家を建てたり、全部個人がやらなくても良い。社会的な生き物なのだから、自分が社会貢献できるもので貢献したほうが効率的。できたほうが便利なときがある、ってだけ。もしくは、不自由を楽しむとかね。
料理ができないなら、対価として社会に対してなにができるだろう? 多くの人は「金を払う」ができる。
それが全体の構造だ。
集団で一つの社会と言う機能を果たしている。