そいつの全力

普段から無洗米を使って、家にあるどうでもいい炊飯器で炊いている。味は悪くない。しかし良い炊飯器で炊いた米はうまいそうだ。炊飯器が壊れ、仕方なく鍋で炊いたら、やたらとうまかった、なんて話も聞く。それが、そのお米の全力です。そもそもお米には、その能力があった。それを引き出せていなかっただけなんだ。
ちょっと高級店に行って、焼いたカブを食べたんだが、これがやたらとうまい。さすが高級店で、カブそのものがうまいってのもあるが、それだけじゃあない。料理人が、そのカブの持っている力を引き出している。良い料理人に料理された食材は幸福だ。そいつは、全力で戦えた。
着込んで、ボロボロに擦り切れた服を、僕は今日捨てた。便利な服で、春夏秋冬いつでも身につけられた。襟も袖も擦り切れていて、今日、ようやくその者は現役を引退する。その者は幸福だっただろうか。全力で在れただろうか。
ありがとうと言って、僕はそれを袋に詰めた。多くの服が、そういう服になれない。なぜだろうか。それは着る人間が悪いのか。選ぶ目がない人間に選ばれたのか。脳のない料理人が、手抜きで作った料理のように、全力で戦えない服がある。服を買うときは、そういうことを考える。値段もあるが、着てあげられるかどうか。
全力で僕と共に戦う服を選びたい。そういう服を身につけたい。