育たなかったネタ

Twitterネタが続いててアレなんですけど。僕がTwitterに書く文章は、文章としての寿命が短く、役に立たず、意味のないテキストである。読み流し用と言ってもいい。
このブログだってそうだ、と言うかもしれないが、このブログに書かれている文章は、少なくとも、この分量になるだけ、育った文章だ。逆にTwitterの文章は育たなかった文章だ。どちらが良い悪い、という話ではなく、それぞれに利点や欠点がある。
僕はブログに文章を書くとき、下書きをする。一応。アップロード中にエラーで文章消失とかなったら、泣くから。で、その、下書きをしている最中に、適当に書いて、結局、育たなかった文章というものが、ものすげー大量にある。具体的に言うと、僕のメモ帳には現在、2009年1月からのメモとして15万文字分のネタがある。
メモは半年区間で保存されていて、何年も前からこの形状をとっている。つまり僕のネタなんて尽きない。ただ、育たなかったネタがある。
Twitterは、そういう育たなかった弱い若芽のような少量のテキスト向けだ。それは成長もはやいが、寿命も早い。読み流される文章だ。読み返されない文章だ。
僕のネタには、そういう育たないものが大量にある。たぶん多くの人が、このように脆弱なネタを大量に保有しているのだろう。その場で思いつき、メモのようにつぶやく。結局、そのネタが育ち、大木になるのは、本当に一握りで、他にも大量のネタは生み出されているのだ。