NARUTOの影分身思考

ナルトの忍術の中に「影分身」という技がある。分身すると、それぞれが独立した経験を積め、影分身を解いたときにその知識が一体に融合する、というものだ。このため、ナルトは短時間で大量の修行をすることができる。
さて、この影分身。もし自分ができたら、どうなるだろうか? 誰もがこんな空想をすることはないか。自分が何人もいたら、いろいろ遊べるのに! と思うことはないか。一人はゲームをして、一人は遊び、一人は仕事をして、一人は眠る。
そんな空想をするが…そんな風になるだろうか? ならない気がする。僕をいくつかに分身させたときに「やる気の在るヤツはどれだけいるのだ?」という疑問があるからだ。
たとえば、僕の人格をいくつかに分断する。物理的な肉体は一つだが、精神は影分身のような状態だ。そういう状況なら、別に忍術が無くてもできるはずだ。そしてその分割した人格の中で、やる気のある人格って結局誰だよ。そんなヤツいるのか? もしいるのなら、そうやってやる気の在るヤツが常にオモテに出るようにすればいいじゃん。他の人格は休んでいることになる。でもそんなことはできない。人はだいたい、サボりたい人格がオモテに出てくるから、サボるのだ。
つまりだな。
影分身のように分割できたとしても、結局やる気の在るヤツが内部にいないなら、意味ねぇーってことになる。そしてやる気のあるヤツが内部にいて、そいつがちゃんとオモテに出てくるなら、影分身なんてなくてもちゃんとやる。
あれもやって、これもやって、やりたいことが山ほどある! と口でいいながら、なぜサボるのだろう? それを考えれば、答えは出ている。何人分身しようと、やる気のないやつは、結局サボる。今、僕がこんなバカなことを考えて、サボっているように、だ。こんなクダラネーことを考えてる暇に、もうちょっとマシなことに時間を使いなさい。やる気のある人格をオモテに出して、ちょっとはまじめにやりましょう。