情報の種

「他人によく思われたくないの?」と聞かれたことがある。
「他人が僕をどう思おうと、僕には影響がない」と答えた。

「裸でエロゲーをやっている」とネタでわりとよく言うんですが、これが友人の女友達とかにも伝播しているときがある。
まったく初対面なのに「あ、この人。裸でエロゲーやる人」と紹介され、「あー、どうも始めまして(ニヤニヤ)」と女の子から明日店先に並ぶ養豚所の豚を見るような視線を浴びせられたりする。ちょ、おま。僕の話、どんなだよ。いや、やるけども。実際やるけども。全裸で料理とかするけども。パスタぐらいなら余裕で茹でるけども。
で、そういう場合、多くの人は「そんなことばっかりじゃないよ」みたいな否定的なことを言うらしいが、僕はその情報を放置して、眺めている。むしろ水とか養分を与えてみる。「ええ、やりますが、あなたはまさか、服を着てやるんですか?」
これは情報の種だ。友人がその女友達に、勝手に蒔いた種だ。その女友達の頭脳という土壌で、僕という人物像が勝手に育っている。そこが面白い。すごく面白い。僕を知っている人間がいて、もちろんそういう人たちの頭脳の中に、僕という種が蒔かれている。そしてその種は勝手にその土壌で成長し、僕という人物像を想像している。自由だ。ひどく自由だ。面白いほど自由だ。僕を知っている人間がいて、僕をどういう人間だと思うかなんて、僕のパーソナルにはまったく影響がない。僕が非モテだ、というのなら、その情報に水をあげてみよう。僕がヤリチンだ、というのなら、その情報に栄養を与えてみよう。他人の頭脳で勝手に育つだけで、両者は相反しながら、同時に僕という形状で存在することになる。
もちろん僕の頭の中にだって、他人がいて、勝手に蒔かれた種が育っている。あの人はあんな人だ、この人はこんな人だ、あいつは好きだ、あいつは嫌いだ。まったくそいつに影響がなくても、僕のパーソナルな部分に勝手に芽吹いて存在している。

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ヘルシング(9) 俺の心も魂も命も、俺だけのものだ。最近、死についての文章を各所で見かける。ヘルシングを読めばいいと思う。