原作付きの漫画への愛

漫画版つよきす(1)の巻末漫画に、皇ハマオがつよきすを描くまでにいたる経緯が書かれている。それによると、まずオファーがきて、仕事を請けた後に、つよきすをプレイ→ハマッたと書いてある。これをまるごと信じるのであれば、原作付き漫画というものは、漫画家が原作を愛しているから描くのではなく、仕事として描いていることになる。もちろん、いろんな例があるだろう。逆もあるだろう。皇ハマオは、原作を楽しめて、さらに描きたいと思えたから、よい漫画になっている。
だけどみんながみんな、そういうわけではないのだろう。原作があるアニメや漫画や映画を見ると「お前、ホントに原作面白いと思ったの?」というものも多くある。結局、原作を愛せないのに作らざるを得ないから作った、とか、仕事だから仕方なく作った、という連中の作品ってことなんじゃあないのか。
プロだから技術はあるかもしれない、だけど一番肝心なものがない人間が作った作品なんて、駄作にしかならないんじゃないの?せっかく大好きな小説や漫画やエロゲがアニメ化したのに、アニメを見た原作ファンが怒るのって、そういうところなんじゃないか?
佐々木少年の「真月譚 月姫」に見る原作の構図
http://d.hatena.ne.jp/BWS/20060915/p1
こんなふうに原作への愛を感じて、さらに技術もあるプロに作られた作品は、それを受け取れる人がかならずいるし、多くの人の支持を得ることができるだろう。ハルヒが受け入れられるのも、原作がよかったというものもあるが、アニメを作った人たちが、それを作りたいと思った、それを表現したいと思った、という意識があったはずだ。
原作を愛せなかったのに、仕事だから仕方なく作られてしまった作品が悲しい。作りたい人たちが作っていたはずなのに、いつの間にか仕事になり利権が絡み、ただの金儲けに成り下がってしまう芸術が哀しい。