属性における自己制限

世の中には面白いものが大量に溢れていて、コレは良い、コレはイマイチだ、と自分の中で評価している。そして自分はこういうものが一番好きだなぁ、という自己属性というもので、自分を制限している。異性の好みのタイプを聞かれて、答えられる人は、そういった自己制限をかけているだけだし、好きな食べ物も、好きな色も、好きな風景も、好きな属性も、すべて自分が自分に制限をかけた結果である。
では、自己制限をなくしたらどうなるのだろうか。すべてが面白く、すべてがつまらなくなるだろう。自分をそうやって制御し、制限しているという自覚がない人間は多い。そして制限がかかっていることは、外部に理由があり、自分がかけていることを忘れていることも多い。いつでも、自分のコントロールは自分がしているのだという意識がないためだ。
そうやって自由度を失い、制限をかけ、重荷を背負うということは、安心できるし安定している。神に縋るのに似ている。運命だとあきらめるのに似ている。そうやって自己を防衛しているのだろう。

いや、だって最近、姉モノでヒット作がないんだもん。自己属性で自分を狭めるより、妹もメイドも幼女も陵辱もすべてオッケーにしたほうが、絶対いいモノが多いはずじゃん。総数が違うんだから。