オリジナルキャラクタの自由度と、二次創作の安定度

オリジナルキャラクタを作るとなると、わりと気を遣う。既に出ている作品の、アレとかぶるとか、アレと似ているとか、アレと同じような設定だ、このキャラクタは以前もいた、アレはどうしたらいいだろう、この矛盾はどうするのだろう。いろいろ考える。それが自由だともいえる。
それに比べて、他人の作ったキャラクタを動かすのは簡単だ。すでにキャラクタというものが存在しているのだから、あとは動かせばよいだけだ。それだけ自由度が低いともいえる。ゲームをプレイする側と、ゲームを製作する側の視点の違いだろう。ゲームを製作する側のほうが、ずっと自由度が高い。
西尾維新にはオリジナルキャラクタを作り続けて欲しいと思う半面、きっと彼が動かす二次創作のキャラクタは、製作者が描いたときよりももっと、生き生きと動き出す可能性もある。アンビヴァレントな感覚だ。