属性についての考察

いろんなところで、属性分類することが増えている。自分はオタであるとか、彼女はツンデレであるとか、彼は非モテであるとか、ヤツは厨房だとか、つまりそういう分類。オタク文化だと個人的には思っている。レッテル(ラベル)を貼る(分類をする)ことで、きっと誰かが(主に自分が)安心するのだろう。もちろん自由だ。人は安心するために生きているんだからな。そこで、眺めていると、最近のこの属性分類に、どうも違和感を感じたので、書いてみた。
例題:
「ある男がいて、そいつは、仕事においても責任のある立場にいて、それなりの給料を貰っている。3年前に前の彼女と別れて、今は違う女と付き合っている。話してみると、なかなかちゃんとした考えをしているようだ。ところが、最近、彼女とつまらないことで喧嘩をしたらしい。両者に話を聞いてみると、両方が相手が悪いと主張しあっている。」
問題:
「この男が、非モテか?といわれると、どうやって判断するんだろう?
この男が、オタか?といわれると、どうやって判断するんだろう?
この男が、ツンデレか?といわれると、どうやって判断するんだろう?
この男が、厨房か?といわれると、どうやって判断するんだろう?」

思うにこの単純に流行っている属性というものは、定義が曖昧で、拡大解釈することも可能だし、その逆も可能、という側面がある。新語というものは、そういうものかもしれないが、この属性分類の行動を見ていると、どうやらラベルをはることで、同族意識を高めたり、他人との差別化を図ることが目的のようだ。

たとえば、非モテについてだが、「彼女がいる=非モテではない。」という定義なのだろうか?モテなくても彼女はいるんだろうか?そもそもモテってなに?「あなたは女性にモテる?」って、キムタクに聞いたら「いやぁ、そんなにモテないッスよ」って言ったら、彼は非モテなのか?異性とコミュニケーションが上手に図れないヤツのこと、って外人とは図れないがどうだ?なに例が突拍子もない?じゃあ、隣の女性とはどうだ?意思疎通がうまくいくなんて、ラブラブの恋人同士だって常時うまくいくとはかぎらないんじゃあないの?それとも「一人以上の異性と付き合ったことがある」とかの定義があるのか?そしたら同性愛者は非モテか?異性から告白を受けたことがある場合、モテか?どうなんだ?どこまで行ったらモテなんだ?どこまで行ったら非モテなんだ?そのラインは誰が決めたんだ?それとも感じるのか?コスモかなにかか?感情論かなにかか?明確に目に見えなくても感情は確かにある!とかそういうヤツか?

とまあ、つまり、言葉の定義がしっかりしていない。単語そのものが流行っているから、みんな自分を分類したがっていて、面白がっているだけなのだな、と思えば、納得できるか。「姉派」の定義も曖昧だろう。姉派にもいろいろ派閥があるってことさ。他の派閥は「それは認められない」というけれど、そんなのは僕には関係の無いことだ。まあ、他の属性も同じようなモノ。結局、自分が「そうだね」って思えることを書くしかない。