フェルディナンド博士の尊敬という概念

世の中にはとんでも教団がいろいろあって「なんでそんなのを信じさせることができるんだ?(うらやましい!)」と思うこともあるけれど、それを傍から見ると違和感を感じたり嫌悪を感じたりする。ところが内部の人間はきっと信じられるなにかがあって、そういうものの教祖は、他人に狂信される能力を持っている。カリスマ。きっと肉の芽。外部にいる僕らにはわからないだろう。ただのコ汚いおっさんに見えるのに、なぜ信用されるんだろう?少なくともその点に関しては、優れている何らかの能力があるはずだ。ゴキブリ並みに嫌悪の対象だろうと、なんだろうと、優れているから、他者の信用や尊敬を得て、コントロールできる。この教団内での争いごとがあったとしても、このカリスマによって統治されていて、絶対的な「正義」が存在する。では、この教団が、国家レベルであったり、世界レベルであったら、どうなるだろう?カリスマ性が100人や1000人単位じゃあない。もっと巨大な何万も何千万もの人間の魂を一人の人間が持つことができたら、人はどうなるだろう?『尊敬』は『繁栄』だ。そしてそれは傍から見たら狂信的に見えるだろう。