親孝行という幻想

僕には親がいる。子供はいない。親孝行の話をいろいろと聞く。親がいなくなった人はいつでも後悔を引きずっている。親孝行できなかったと嘆いている。しかし親孝行してやれた、と満足している人はきっといないのだろう。どこにも満足は存在しない。どこまで行ってもマイナスしか存在しない。親孝行なんて本当にそんなことが出来るだろうか?私が親だとしたら、どう感じるだろう?
ペイフォワードシステム。あるときだった。とても世話になった人が死んだ。そのときに「あの人に借りは返せなかった」と言うと、親は僕に言った「本人に返せないなら、ほかに返しなさい。」親に借りを返すことはできない。師にも、恋人にも、兄弟にも、世話になったあの人にも、借りを返すことはできない。だから他人に貸しを作るしかない。情けは人のためならず。そうやって続いていくしかない。きっと僕が死ぬときも、誰かが勝手に借りだと信じていて、勝手に返せなかったと嘆くのだろう。罪と罰のようだ。そしてその呪いは、僕を拘束している。僕を制限している。